
イランではいつから、なぜ女性がヒジャブを着用するようになったのでしょうか。イスラム圏のヒジャブの装いに詳しい東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所助教の後藤絵美さん(47)に聞きました。
東京外国語大学の後藤絵美さんに聞く
抗議は宗教的抵抗ではなく政治的な抵抗
顔や体を覆う布にはいくつか種類があります。「全身を覆う布の『チャドル』、頭や髪にかぶるスカーフの『ルーサリー』などがあり、まとめて『ヒジャブ』と呼んでいます」と後藤さん。用途や好みによって使い分けられていると言います。
ヒジャブのような装いは紀元前の古代ペルシャからあったそうです。「当時は布を持てる裕福な人たちがファッションとして着用していたと思われます」。それが7世紀以降にイスラム教が広まり、次第に宗教的要素が加わっていったと見られています。
人々の間でヒジャブの着用が定着した経緯ははっきり分かっていないそうです。
「7世紀頃はイスラム教の預言者ムハンマドの妻たちに対して、ヒジャブで厳重に体を覆うことが求められていましたが、一般の女性たちにはそれほどではなかったようです」
預言者の妻がヒジャブを用いるのであれば、一般の女性もそうあるべきだという感覚が人々に生まれ、次第に広まっていったのではと後藤さんは考えています。
イランの現政権はなぜ女性たちに着用を強制するのでしょうか。「女性は体の美しい部分を覆うべきと理解しうる内容が、神の言葉とされるイスラム教のコーランに書いてあります」
この部分にはさまざまな解釈があり、時代や地域、個人によって理解のしかたは異なります。しかし、イランでは1979年のイラン革命以降、女性は顔と手を除いて全身を覆うことが義務づけられ、法律にも記されています。ヒジャブを着用していないと就けない職もあり、病院や役所にも行けないそうです。
今回の政権への抗議行動については、イスラム的な装いに対する宗教的な抵抗ではないと後藤さんは強調します。「宗教の名のもとに自由を制限し、暴力を行使しながら一つの考えを人々に押し付ける。そうした状況に対する政治的な抵抗だと思います」
(朝日中高生新聞2022年11月13日号)