米大学卒業し帰国、師匠の落語聞き人生一変

「もったいない」

26歳の誕生日に総合商社・三井物産に辞表を出して落語家をめざすと決めたとき、ほとんどの人がこう言ったそうです。両親は大反対。でも、迷いはありませんでした。その1年ほど前、後に師匠となる立川志の輔さんの独演会にふらりと立ち寄り、人生が変わりました。「まさに『沼』。師匠が語る世界に引きずり込まれる感覚でした」

三井物産の最終日に同期と。後列左から2人目が志の春さん 本人提供

父親の仕事の都合で小学3年から3年間、米ニューヨークでくらしました。中高は、千葉の渋谷教育学園幕張中学高校へ。「応援団長もクラス委員も卒業式の答辞も、自分から立候補する目立ちたがり屋だった」と振り返ります。米国の大学をめざしたのも「東大よりハーバード大に行くと言ったほうがウケると思ったから」。

ハーバード大は不合格でしたが、私立名門校イエール大へ。全米や世界各国から集まった学生たちと寮生活を送るなかで、自分がいかに日本のことを知らないかを痛感しました。卒業後は、帰国して就職しようと決意。「もっと日本を知りたい」という思いの先に落語との出会いがあったので、「自然な選択でした」。

人生の岐路で迷わないのは、米国の小学校に「ぶち込まれた」経験が影響していると考えます。「生きていくためには言葉を覚えて、自分の考えを主張しなくてはと必死でした。一人ひとり違うのが当たり前で、議論はしても人格までは否定されない環境だったことも大きいと思います」。ふたつ年下の弟も、英オックスフォード大で数学を学んだ後、劇団四季のミュージカル俳優になりました。

見習いや前座と呼ばれる落語家の修業期間は、空気を読んで動く「気働き」が求められます。米国では必要とされない能力だったのでできず、師匠からは「向いていない」とダメ出しの連続。3年ほどと見込んでいた修業は8年を超えました。「辞めようとは思いませんでしたし、ぼくの場合は『アメリカが悪い』と言い訳ができたから」と笑います。

2020年4月に最高位の「真打」に。古典をベースに、新作や英語の落語にも挑戦しています。弟子をとれる立場になりましたが、周囲には「師匠と呼ばないで」と頼んでいます。

「失敗できなくなるのがこわいから、フラットな『志の春さん』のままでいたいです。やらないで後悔するより、おもしろい失敗談を語れるようになりたい」。10代の頃から思いは変わりません。

(朝日中高生新聞2024年10月6日号)