ある学生の一言から始まった

言語研究を専門とする齋藤孝滋教授が顧問を務め、主に週1~2回、昼休みに活動しています。ダジャレにまつわる学外のイベントに参加したり、ダジャレを競う大会に参加したりしています。現在のメンバーは、学生15人。副顧問は卒業生の田中伶音さん(23)です。

「お昼ごはんを食べ終わったら、大喜利をします」と部長で4年生の手嶋優花さん(22)。大喜利とは、お題をあげてダジャレを発表すること。お題が「まくら」と決まると、「真っ暗な枕」「ま~クラクラするわ」。齋藤教授は「枕かかえて『いざ鎌倉』」「ほー、冗談かと思った」。20分間で20近いダジャレが繰り出されました。

昼休みにダジャレを言い合うメンバーたち=9月23日、横浜市 ©朝日新聞社

活動が始まったのは、2003年。齋藤教授が当時、教えていた学生たちの提案から生まれました。普段からダジャレを連発していた齋藤教授の周りには、楽しく明るい雰囲気を共有したい学生が集まるようになっていたそうです。

「授業が終わった後、食事に行った学生が『ダジャレのサークルがあるといい』って。当時、レストランに『ボージョレ・ヌーボー』の広告があった。そこから『ダジャレ・ヌーボー』と名付けました」

メンバーから出たダジャレを書いたホワイトボード=9月23日、横浜市 ©朝日新聞社

コミュニケーションツールに◎

活動の目的は「若い世代へのダジャレの普及と、ダジャレの新規開拓」。同大学は1870年創設の歴史ある女子大。手嶋さんは当初、大学と活動が結びつきませんでした。「大学は気品あるお嬢様のイメージ。ダジャレはおじさんのイメージを持っていた」。でも、ギャップに「いろんな可能性を感じた」と入部しました。

消極的だった手嶋さん。活動を通して、まっさきにダジャレを言える度胸と瞬発力が身についたといいます。就職活動では、面接でダジャレを言って盛り上がりました。「ダジャレのイメージが変わった。クスッと笑えて緊張をほぐせるコミュニケーションの一つだと気づいた」

部長の手嶋優花さん=9月23日、横浜市 ©朝日新聞社

会社にもつくる

田中さんは新卒で入社した会社で「ダジャレ部」をつくりました。30人ほどのメンバーを抱え、口数の少ない社員もダジャレを通じてコミュニケーションをとるようになり、話しやすい雰囲気が職場に生まれたといいます。毎日一つダジャレを生み出すことを日課にする田中さんにとって「ダジャレは心の支えです」。

田中伶音さんが毎日つけているダジャレのメモ。思いついたダジャレを書きとめています=9月23日、横浜市 本人提供

齋藤教授は、ダジャレの奥深さをこう話します。「現存する他言語に、日本語のように同音異義の言葉や表現が多いものはない。例えば『おいたわし』というだけでも、『置いた和紙』、『老いたワシ』と多様な意味をもつ。ダジャレは、日本語固有の言語文化で、日本語使用者だけが味わえるクリエーティブな言語行動と言えます」

ダジャレの普及により、こんな社会を描きます。「ダジャレは時代、世代、性といった様々な障壁を越えて共感できる。ダジャレをコミュニケーションツールとして使うことで、障壁を飛び越え、心地よく建設的なコミュニケーションがとれるようになる。そんな社会になってくれれば」

(朝日中高生新聞2024年11月10日号)