
――大学卒業後は、「世界のニナガワ」と呼ばれた演出家・蜷川幸雄さんの劇団に入られました。
蜷川さんのもとで修業し、シェークスピアの作品などで海外の公演に連れていってもらいました。イギリスでシェークスピアを日本語でやるんですが、笑わせようと思う場面でお客さんがちゃんと笑ってくれるんですよ。ストーリーがわかっているからかもしれませんが、蜷川幸雄という演出家が、日本の芝居を国境を越えて持っていって、向こうのシェークスピアを日本人のものにするのを目の当たりにしました。「日本にいるだけじゃだめなんだぞ」というのを植えつけられましたね。
――人生の転機は?
大きく変わったのは「孤独のグルメ」に出会ったことが一つですが、それだけじゃない。映画を撮ることを挫折したときも、蜷川さんのところに入ったけれどやめたときも、一度はこの世界から足を洗い、やっぱり俳優を続けてみたときも、そう。俳優の仕事で何とか生計を立てられるようになったのは40歳ぐらいの頃で、48歳で「孤独のグルメ」で主役をやって……。映画と一緒で、人生も物語のようなんです。一つの点でなく、いろいろな文脈があって、いまがあると思っています。
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