放送中のドラマ「海に眠るダイヤモンド」(TBS系)の舞台で注目されている長崎市の無人島「軍艦島」。かつては人が住み、炭鉱の島として栄えたこの島は2024年1月15日、閉山してから50年を迎えました。15年には世界文化遺産に登録されましたが、島に残る建物は老朽化が進んでいます。そんな中、人々が暮らした当時のようすなどを語り継ごうと、国際プロジェクトも進行中です。(佐藤美咲)
※ここからは2024年1月21日にのせた記事の再編集です


「軍艦島」閉山50年 石炭採掘で日本の近代化支える
島ごと町に 人口密度世界一
長崎港から南西に約18キロ。コンクリート塀に囲まれた周囲1.2キロほどの島に、ひしめき合うように鉄筋コンクリートの建物が立ち並んでいます。
正式名称は「端島」ですが、そのすがたがまるで海に浮かぶ軍艦のように見えることから「軍艦島」と呼ばれるようになりました。
最盛期の1960年ごろの人口は約5300人。人口密度は、当時の東京23区の約9倍になり、世界一ともいわれました。16年に建てられた日本初の鉄筋コンクリートのアパートをはじめとする集合住宅や、7階建ての小中学校、病院、神社、映画館もありました。58年に全国で10%ほどだった白黒テレビの普及率は、島ではほぼ100%でした。



軍艦島で、良質な石炭が見つかったのは、1810年ごろ。それから80年後の1890年に三菱が島を買い取ると、本格的な石炭の採掘作業が始まりました。最盛期には24時間、交代しながら石炭を掘っていたため、真夜中でも明るく「不夜城」とも呼ばれました。閉山までの80年あまりに採掘した量は計1500万トンにのぼり、日本の近代化を支えました。
次第に日本の主要なエネルギーが石炭から石油に変わると、端島炭鉱は1974年1月15日に閉山。この年の4月20日には最後の島民が島を離れ、無人島になりました。


最先端の建築群で安全追求
島には、当時の日本では最先端だったコンクリートの高層建築が建てられました。なぜなのでしょうか?
軍艦島の建築について研究する建築家の中村享一さんは「土地が限られていたことに加え、島では毎年、台風の影響で人々の生活や命がおびやかされ、採掘作業が止まることもあった」と話します。「島民が安全に暮らせるように、台風に強い建物を造ることが求められました」
また、労働環境も関係しているといいます。明治時代の炭鉱の現場では間接雇用が一般的でしたが、端島炭鉱では労働者が雇用の見直しを訴え、直接雇用を実現しました。「石炭を掘る生産性を高めるため、働く人の環境をよりよくする延長線上に高層アパートなどの整備もあったとみています」
島の暮らしを3Dで体感 XR技術のプロジェクト
無人島になって半世紀がたとうとしているいま、島に残された建物は、高波や風、雨などの影響で古くなったり、崩れたりしています。
修復や保存をするためには膨大なお金が必要になるため「簡単なことではありません」と中村さん。「保存のために動いていくのは、もう遅すぎる」とも感じています。
そんな中村さんが取り組んでいるのは、当時の軍艦島の暮らしを3D映像で体験できる国際プロジェクト「The Hashima XR Project」です。XRとは現実にない世界に入れる「VR(仮想現実)」や、現実にデジタルの情報を足す「AR(拡張現実)」、現実と仮想の空間がまざる「MR(複合現実)」をまとめた呼び方です。
プロジェクトには、東京大学や英国・ケンブリッジ大学の研究者をはじめ、デザイナーや技術者たちが参加。当時の資料や元島民への聞き取りなどをもとに、1970年代の炭鉱で生活する人たちの日常生活を再現することをめざしています。


禁止区域ものぞける
軍艦島へは2009年から観光客が上陸できるようになりましたが、一部の区域しか入れず、建物の中に入ることもできません。中村さんは「XR技術でなら、立ち入ることができない場所にも訪れたような感覚を味わうことができる。教科書や、歴史年表といった活字でもなく、写真でもなく、よりリアルに伝えることも期待できるでしょう」と話します。
公開時期は未定ですが、軍艦島の歴史を学ぶことや、当時の人々の生活を未来に伝えていくことに役立てるため、準備を進めていくといいます。
3DCG一部公開
プロジェクトのサイトで、軍艦島の建造物の3DCGの映像を一部公開しています。
https://thehashimaxrproject.org/home-1(外部サイト)
(朝日中高生新聞2024年1月21号)

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