鈴木寛さん 本人提供

参議院議員を2期務めた 鈴木寛さん

現在、東京大学などで教壇に立ち、日本サッカー協会の名誉役員なども担う鈴木寛さん(61歳)。2001年から2期12年、参議院議員を務めました。

鈴木さんは議員在任中、教育や医療、スポーツなど幅広い分野で活動。民主党(当時)の政権で文部科学副大臣となり、東京五輪・パラリンピックやラグビーワールドカップの招致にも携わりました。

大学卒業後に通商産業省(現在の経済産業省)に入省。退官後、慶応大学の助教授になり、教育政策を研究しました。中でも高校無償化や大学生の奨学金制度の遅れに問題意識を持ち、「どんな家に生まれても、どんな地域に育ってもすべての若者に学ぶチャンスを与えたい」と考えるように。「それまで研究や提案はしていたが、政治家になれば、いよいよ実現できるのではと思った」と話します。

2001年7月の参議院議員選挙に民主党から出馬。この年の4月に自民党の小泉純一郎さんが首相となり、「小泉旋風」が吹きました。野党候補の鈴木さんは「ものすごい逆風になったと、街頭演説をしても感じた」。人が集まらなかったり、心ない言葉をかけられたりもしたそうです。

「政治家になるのに必要とされる『地盤』『看板』『かばん』はどれもなかった」。地盤とは応援してくれる人や団体のこと。看板は知名度、かばんはお金のことです。票を入れてもらうには、まず自分の名前や、国会議員として何を成し遂げようとしているのかを知ってもらわなければなりません。そのために応援団を作る必要があります。

教え子たちが応援団に

鈴木さんに地盤はありませんでしたが、応援してくれる教え子たちがいました。逆境の中、無名の新人であった鈴木さんが当選できたのは「教え子やOB・OGの人たちが一生懸命ボランティアで応援してくれた。それがだんだん周りに伝わり、支援の輪が広がったのが大きかった」。

初当選した選挙での街頭演説=2001年7月、東京都新宿区 朝日新聞社

議員の給料は数千万、でも借金

国会議員は国会や党内、超党派の会議に出席するほか、政策を作るため、専門家や現場の人の声を聞く活動もします。関係者との意見交換の場として、朝食会や夜の会合に出ることも。休日や国会閉会中も、地元のイベントに参加するなどしています。

そのため鈴木さんの予定は埋まるどころか「重なっていた」そう。「いろいろな現場に行き、情報収集や意見交換を続けることで、困っている人たちの思いを代弁できるよう心がけた」といいます。

去年1年間の国会議員1人あたりの平均所得は2513万円。読者から「高い」との声も届きました。ただ公費(税金)で雇える秘書は3人までです。「最も秘書が少ない議員だったと思う」鈴木さんも、自費でさらに3人雇いました。選挙区にある事務所の家賃なども自費。「従業員5、6人の零細企業という感じで給料はあまり残らず、むしろ借金をしていました」

もやもやに回答!

Q 日本は首相を国民が直接選べず、意見が反映されにくいのでは?

A(鈴木寛さん) 私も首相を国民が直接選ぶ「首相公選制」をしてもいいのではと思います。日本では国政選挙や統一地方選挙など重要な選挙が1.5年に1回ほどあり、そのたびに首相に人気がないと、代わらないといけない状況に。常に選挙を意識しなければならないのは問題だと思うのです。知事のように最低でも4年間は政策作りに打ち込めるような制度改革をすべきです。

ただ、実現には約80年前から一度も改正されていない憲法を変える必要があり、高いハードルです。

(朝日中高生新聞2025年7月6日号)