※答えは、この記事の最後に

中臣鎌足が政治改革を考えたきっかけは、塾に入って国際情勢を学んだことでした。南淵請安という人が開いた塾です。請安は遣隋使に従って中国にわたり、留学生として32年間も滞在して隋の滅亡と唐の隆盛を目の当たりにした人物です。

鎌足はここで唐の制度、思想、文化などについての最新の知識を教わり、「日本も唐のように天皇を中心とする律令国家になるべきだ」と考えるようになりました。その結果、蘇我氏を倒すことを決意したといいます。

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やがて鎌足は蘇我氏打倒に協力してくれる皇族を探し始めます。そして中大兄皇子の人柄を知り「この人こそ協力者にふさわしい」と判断したのです。

そんなある日、鎌足は飛鳥寺(今の奈良県)で蹴鞠をして遊ぶ機会がありました。メンバーの中には中大兄皇子もいました。どうにかして皇子と知り合いになりたいと思った鎌足は、皇子のくつがスポッとぬげたとき、すばやく拾って皇子に差し出したのです。

これをきっかけに二人は親しくなり、何でも話し合う仲になりました。鎌足は、ついに蘇我氏打倒の決意を打ち明け、皇子は協力を約束しました。

二人は具体的に計画を考えるようになりますが、何度も密会するとあやしまれます。そこで皇子も南淵請安の塾に入り、塾への道すがら、詳しい計画を練ったといいます。

クイズの答え 改新の詔
(スタート→蘇我入鹿→中大兄皇子→中臣鎌足→改新の詔)

かわい・あつし

歴史作家。都立中高一貫校や私立中高の教諭を経て、多摩大学客員教授。多くの日本の歴史の本を書くかたわら、テレビ出演や講演活動もおこなう。

(朝日小学生新聞2014年5月8日付)