津波から人々をすくった

江戸時代末期の1854年、安政南海地震による大津波が広村(いまの和歌山県広川町)をおそいました。このとき、村の浜口梧陵という男性が、稲わらを つみあげた「稲むら」に火をつけ、暗やみの中で逃げおくれていた村人を、安全な高台へとみちびきました。

災害後も、梧陵は自分の財産を投じて村人たちのために住まいを建て、堤防をつくるなど村の復興に力をそそぎました。その堤防は1946年の昭和南海地震のときに、村の大部分を津波から守りました。

この実話をもとにしたのが「稲むらの火」です。災害のおそろしさ、すばやい判断と行動、助け合うことの大切さを、いまにつたえる物語として、長く語りつがれています。

2004年末のスマトラ沖地震・津波をきっかけに注目され、紙芝居や人形劇、小学校の副読本などで津波の防災教育に役立てられています。アジアの国々でも翻訳されました。

世界で防災の取り組み

和歌山県広川町で続く「稲むらの火祭り」=2016年 Ⓒ朝日新聞社

 1854年11月5日、四国南方沖を震源に安政の南海地震が起きました。夜中に津波がおしよせた紀州広村(今の和歌山県広川町)では、村の事業家・浜口梧陵が大切な稲のたばを燃やし、村人を避難誘導しました。浜口が生まれて今年で200年。今も広川町では11月5日に「津浪祭」を行い、津波の被害や備えの大切さを語りついでいます。

 この話にちなみ2011年に、11月5日を「津波防災の日」にすると法律で決まりました。さらに15年には、国連がこの日を「世界津波の日」と定めました。毎年この日にあわせて、世界中で避難訓練や防災の取り組みが行われています。

(朝日小学生新聞2020年11月2日付)