
8月15日は、57回目の終戦記念日です。日本の戦争は、みなさんにとっては、むかしのことかもしれません。でも、このつらい体験をした人が、身近にいます。朝小でおなじみのまんが「ジャンケンポン」の作者・泉昭二さんもそのひとりです。戦争のもっともはげしい時期に子ども時代をすごしました。学童疎開、東京大空襲、終戦。泉さんの目を通して当時をふり返り、平和について考えます。3回の連載です。
大切なのは自由と思いやり
長かった戦争が終わりました。どうしたらいいかわからない不安と、空襲から解放されるうれしさが、同時にやってきたそうです。「自由」と「思いやり」。泉さんはいま、このふたつの大切さをかみしめています。
ラジオを聞いたおじさんが「負けたんだ」
1945年8月15日。学校に行くと、先生が「きょうは天皇陛下の大事な放送があるので、みんな帰って聞くように」といったそうです。

放送は正午からだった。近所の5、6軒の人たちで、1台のラジオをかこんで、頭をたれてシーンと耳をかたむけていたんだ。ガーガーピーピー、音は悪いし、ことばもむずかしくて、何をいってるのかわからなかったんだよ。
ひとりのおじさんが「あーこりゃだめだ。負けたんだよ」といって、やっとわかった。それまでは、「いよいよ敵がやって来るから、みんな協力して戦うように」っていう内容なのかと思ってたんですよ。
家にもどるとまず、鏡で自分の顔を見た。「こんなとき、いったいどんな顔しているんだろう」ってね。でもふつうなんだよね。おこったり泣いたりするべきじゃないか、とは思うのだけど。
ひとりで皇居前広場まで行き正座
その後、泉さんはひとりで電車を乗りつぎ、皇居に向かいました。
「行かなければ」と思ったんだね。ひとつには、努力が足りず負けてもうしわけない、あやまらなければという気持ち。もうひとつは、どうしたらいいかわからない、天皇陛下のいる場所に行けば、なにかわかるのではという気持ち。とにかくすべては天皇が中心だったからね。

玉じゃりがしきつめられた皇居前広場には、たくさんの人が正座して頭をたれていたそうです。
ほとんどの人は肩をふるわせて、泣いていましたね。ぼくはおとなのまねをして、15分くらい正座していた。泣かないともうしわけないと、やっぱり少しは泣いたのかな。
青空を見上げ解放感が一気に/やがて誤った教育に気づく
帰り道、空を見上げると、すんだ青空が目に入ってね。「これで空襲が終わる」っていう解放感が一気にきた。それまで「空=空襲」だったから、空を見てきれいだと思ったことなんてなかった。意識していなかったけど、やっぱり、戦争中だという息苦しさがあったんだね。
しかし、終戦と同時にすべて解決したわけではありませんでした。
食べもの不足は、戦後のほうがたいへんだったね。お米は、買える量が決まっていて、とても満腹になる量じゃない。大豆をしぼったカスやサツマイモを入れたり、雑すいやおかゆにしたりして、量をふやして食べるんだ。それも、1回の食事で茶わん1杯あればいいほう。おかずは、1週間に1回くらいしかない。サツマイモのくきだって食べたよ。
「これからは英語の時代だ。いっしょに勉強しよう」っていう先生がいるかと思うと、「日本は負けたけど、みんなはアメリカにかたきうちをしなければだめだ」なんていう先生もいた。先生も混乱していたんだね。
しかし、おとなの話や新聞から、世の中が少しずつ「戦後」にかわっていくことを感じたそうです。46年には、自由や平等をうたった新憲法ができました。
これからは自分が正しいと思う道を自由に行けばいいんだ。それがとても新鮮で、うれしかったですね。
いま考えると、戦争中は魔法にかけられていたみたいだよね。男の子は兵隊になって、天皇陛下のために死ぬのがつとめ、やさしさなんてとんでもない。そう思わせる教育を受けてきたのだから。
「自由」と「思いやり」があれば、戦争もいじめもない。けっきょく、それはまんがをかくときの考え方といっしょなのね。自由に思いやりをもってかくことが大事なんですよ。(聞き手 植田幸司、市川 博正、中田美和子)
(朝日小学生新聞2002年8月8日付)

「朝小プラス」は朝日小学生新聞のデジタル版です。毎日の読む習慣が学力アップにつながります。1日1つの記事でも、1年間で相当な情報量に!ニュース解説は大人にもおすすめ。