1月17日で1万3616回をむかえた朝小の四コマまんが「ジャンケンポン」。毎日新聞で2001年まで連載 されていた「まっぴら君」を超えて、全国紙では最長の連載まんがとなりました。1969年9月の連載スタートから43年4か月。新聞がお休みの日以外は一日も休まずかき続けています。作者の泉昭二さん(80歳)に、連載を始めたきっかけや読者に伝えたいことなどをたっぷり聞きました。(聞き手・中塚 慧、写真・渡辺英明)

最初の約束は1か月!?

Q(質問) どうして「ジャンケンポン」をかき始めたのですか?

(泉さんの答え) 朝日新聞のPR版のデザイナーさんから「小学生新聞に子ども向けのまんがをかきませんか」とさそわれたのがきっかけです。今まで子ども向けのまんがをかいたことがなかったのですが、「一か月くらいやりませんか」といわれて。それが、気づいたら40年以上続けています。

Q 主人公やタイトルはどう決めたのですか?

 当時の小学生新聞の編集長から「小学1年から6年まで、男の子にも女の子にも読んでもらえるまんがに」とお願いされて。じゃあ、年齢のちがう3人きょうだいにしようと考えました。

名前は、子どもに関係ある遊びからつけようと、ジャンケンポンになったんです。

第1回1969年9月30日 すべてはここから始まった

Q 毎日しめきりがあります。最初は大変でしたか?

A 先輩のまんが家から、毎日連載するのはたいへんだと聞いていました。でも、日刊の新聞連載をもっているのは、まんが家として名誉なこと。すごい仕事をしている感じがして、一生懸命やろうと思いました。

Q まんがをかく上で大切にしていることは?

A やさしい気持ちでかくこと。そして、読者をいやな気持ちにさせないことです。最近でいうと、いじめの問題。子どもたちがいじめをするような気持ちにならないように願ってかいています。どこかほっとする内容になるようにね。

Q 「昔と今の『ジャンケンポン』はここがちがう!」という点はありますか?

A 自分ではあまり意識していませんが、変わっているんでしょうね。昔の方が絵が乱暴で、元気がよかった。今はていねいになりましたよ。

この四十数年で、子どもたちは変わったように思います。連載を始めたころは、仕事中にさわいでいる子どもたちが窓からすぐ見えました。このごろは、遊ぶ子どもが減って本当に静かですね。子どもを見る機会が減ったので、まんがで子どもをえがくときは、想像にたよる部分がふえたような気がします。

Q まんがの案は、どうやって考えるのですか?

A 新聞とテレビが、主な案のもとです。それから、スーパー。人が集まるので、買っている人や働いている人を見ていると、アイデアが浮かぶことがあります。考えることが好きなんですね。電車の中で人を見ていても、「この人はどういう生活をしているんだろう」とつい想像してしまいます(笑い)。

第1000回1973年1月3日 当時の朝小連載まんがのキャラも共演

みんなの感想がはげみ

Q 案が浮かばないときは……?

A それが一番困ります。頭が疲れているときは、何も浮かびません。

でもね、コツがあるんです。それは、寝る前にヒントだけ考えておくこと。そして朝、目がさめたときにふっと考えると、不思議なことに頭がうまく回転するの。案が浮かんだらすぐにノートにメモします。

やめたいと思ったことはありません。だって、考えることが楽しいから。

Q ジャン、ケン、ポンとのつき合いも40年以上になります。彼らはどんな存在ですか?

A うちは子どもがいないので、自分の子どものようなつもりでいます。年をとらないから、いいですよ。おこづかいもほしがらないし(笑い)。とてもかわいいので、ぬいぐるみにしてそばに置いておきたいぐらいです。

「ジャン、ケン、ポンは自分の子どものような存在です。年もとらないし、おこづかいもほしがらないからいいですよ(笑い)」

「ジャン、ケン、ポンは自分の子どものような存在です。年もとらないし、おこづかいもほしがらないからいいですよ(笑い)」

Q 執筆の原動力になっていることは何ですか?

A まんがの下に載っている読者の感想を読むと、はげみになります。(取材中に読者からのはがきを読んで)「世界一のまんが」だって書いてある! はずかしいな(笑い)。

ぼくがやさしい気持ちでかいたまんがを読んで、子どもたちが心温まる感想を送ってくれているのが、何よりもうれしいです。

第3000回1979年7月29日 1万回が大きな目標でした

「戦争はいやだ」が原点

Q 小学生のころの思い出を教えてください。

A 3年生のときに太平洋戦争が始まり、終戦は13歳のとき。戦争のことは、強く印象に残っていますね。

「ジャンケンポン」で直接的に戦争を表現することはありません。でも、「戦争はいやだ」という思いが、やさしい気持ちでまんがをかく原点のような気がします。こういう気持ちでいれば戦争やいじめにつながらないと、まんがから自然にわかってもらえたらうれしいです。

もちろん、楽しく遊んだ思い出もありますよ。東京の下町で育ったので、小さい子をつれて、ちゃんばらごっこをしたり、両手を広げて飛行機のまねをして走り回ったりしていましたね。

Q まんが家になろうと思ったのは?

A 子どものときから、絵をかくことが好きだったの。チラシの裏の白い面によく絵をかいて、はさみで切って切り絵にしていました。

中学に入ってから、絵をかくのが好きな友だちと、(印刷でなく直接かく)肉筆のまんが本をつくりました。

中学2年のときに雑誌にまんがを投稿したら、載っちゃって。そのときに原稿料を初めてもらいました。自分のまんがが雑誌に載って、頭が真っ白になるくらいびっくりしたのを覚えています。

大人になって、サラリーマンとしてはたらいてから、日本初のまんが学校「東京デザインカレッジ」に1期生で入りました。ここで本格的にまんがの勉強をして今につながっています。

これからも頑張ります

Q これから「ジャンケンポン」はどうなっていきますか?

A 今までずっと、みなさんのおかげで続いてきました。

これからも、たいそうなことはできません。でも、なるべく新しいネタを見つけて、読者に楽しまれ続けるようがんばりたいです。

第5000回 1986年2月20日

第7000回 1992年8月12日

第10000回2002年4月9日 歩数計はマストアイテム

第13000回2011年4月23日 かわらないのが魅力です

サザエさんも仲間

【ほかの長寿4コマまんがは?】

毎日新聞夕刊に連載されていた「まっぴら君」(作 加藤芳郎さん)は1954年1月~2001年6月の間で、計1万3615回。全国紙の連載漫画で最長とされてきました。

東京新聞などで1956年3月~2007年3月、通算44年間連載された「ほのぼの君」(佃 公 彦さん)は、計1万5451回でしたが、長い休載やタイトル変更がありました。

ほかに、毎日新聞朝刊で連載中の「アサッテ君」(東海林さだおさん、1974年~)、しんぶん赤旗で連載中の「まんまる団地」(オダシゲさん、75年~)などがあります。

「サザエさん」も、もともとは4コマまんが(長谷川町子さん)です。福岡の地方新聞などを経て、51年4月~74年2月、朝日新聞朝刊で連載されていました。

4コマまんがではありませんが、朝小では「落第忍者乱太郎」(尼子騒兵衛さん、86年1月~)も、27年にわたり連載されています。

ポンをかいちゃおう!

ポンのかき方。みんなも挑戦してみよう。2009年9月30日の「連載40年」を記念した紙面で掲載されました

ていねいに三人を描く泉さん

33歳からプロに

いずみ・しょうじ 1932年、東京都荒川区生まれ。8人きょうだいの末っ子。はたらきながら高校に通い、法政大学を卒業(日本文学専攻)。会社員生活を送った後、33歳から東京デザインカレッジまんが科に通い、プロになる。第5回日本漫画家協会賞優秀賞(76年度)。日本漫画家協会参与

(朝日小学生新聞2013年1月17日付)