文章が読めない要因に、語彙量不足、主語と述語の係り受けが見つけられない、聞きなれない修辞が多い、全く知らない世界の話……などがありますが、大きな要因として、子どもたち自身の「変化」もあるのではないでしょうか。

今の子どもたちは勝ち負けの意識がすっぽりとぬけています。

親世代だったら理解できる「負けて悔しい」感情が低いので、勝負にからんだ物語文が出ると、理解が及びません。

例えば、ある子どもから

「こいつ、おれの友達。同じピアノ教室に通っているけれど、こいつは賞も取っているし、学校の音楽会でも代表で演奏もしているし、すごいんだよ」

という話しを聞いて、私は

(へぇ、すごいね。でも、君も同じピアノ教室に通っていて、悔しくはないのかな)と思います。

さりげなく「悔しくない?」と尋ねても、「ぜんぜん」という返事で、勝負の世界から自分という「枠」が抜けているようなのです。これには学校教育の影響が大きいのかもしれません。

一部の小学校の運動会では、50メートル走のタイムを計測して、平均的なタイムをもつグループ間で競わせるようになりました。うちの娘の小学校では百人一首のカルタ大会でも平均枚数を調べます。バスケットボールの授業も「苦手な人も、必ず平等に3回ボールを触る」というルールがあるので、運動が苦手な娘にも必ずパスが回ってきます。ミニバスケットボールのチームに所属する上手な子たちは、ぼーっと立っているだけの娘にパスを回す時、嫌な顔をしていることもあるとか。ドッジボールもしかりです。

このように、はっきり勝敗がつく機会を排除する平等主義の中で育っていますので、物語文の中で

「同じ絵画教室に通っているのに、友達だけが賞を取った」

という話が出た時、すんなり「悔しい」感情が出てきません。そこは親や先生が説明してあげないとわからないのです。語彙も大事だけれど、親世代と感覚が違うので、読んで背景や感情を説明してあげないと理解できないことも多々あります。

「話、わかった?」

と尋ねてあげて、筋を説明する事も読解以前に大切なことなのです。

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(朝日小学生新聞2024年4月17日付)