絹産業を日本から世界へ
日本で初めて、本格的に器械を使って生糸をつくる工場として建てられた富岡製糸場(群馬県富岡市)。2014年6月25日に「富岡製糸場と絹産業遺産群」が世界遺産に登録され、今日で10年をむかえます。(奥苑貴世)
自由研究・探究学習のヒント
キーワード #世界遺産 #富岡製糸場 #養蚕
・みなさんの家に絹製品はあるかな? どこでつくられたものか、どのようにまゆから絹製品になるのか、調べてみよう
・日本の近代化が学べる世界遺産は、ほかにどんなところがあるかな?
・みなさんの住んでいる地域で江戸時代や明治時代から盛んだった産業はどんなものがあるかな? どうして盛んだったのかな?

世界にほこった工場・技術 建物や器械が語りつぐ
富岡製糸場は1872(明治5)年、明治政府によって、全国のお手本となるような工場にしようとつくられました。江戸時代の終わりごろから、絹織物のもとになる生糸は、日本の最大の輸出品でした。そのため、政府は質の良い生糸をよりたくさんつくろうとしたのです。今年7月から発行される新しい1万円札にえがかれることでも知られる渋沢栄一も、設立にたずさわりました。
富岡製糸場の全体の広さはおよそ5万5千平方メートル。まゆを保管していた倉庫「東置繭所」と「西置繭所」、「繰糸所」などがあります。



繰糸所では約300釜の「繰糸器」を使って、カイコのまゆから糸を取る作業をしていました。当時、世界最大規模の器械製糸工場でした。現在もこれらの建物の中を見ることができます。


フランス人の技師をやとい、外国の技術を取り入れてつくられたことも特徴的です。建物や操糸器、器械の動力などには当時のフランスの技術が多く使われています。

1893年からは民間の会社などが操業をにない、第2次世界大戦後には自動製糸機を取り入れて、より効率的に生産できるように。1987年まで115年間、生糸をつくり続けました。
よい生糸をたくさん生産する技術をつくり、日本の経済発展や世界の絹産業の発展に役立ったとして、操業をやめた後も、多くの建物が大切に保管されています。
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