編集部に訪れた池上彰さん=8月、朝日学生新聞社(東京都・中央区)の本社写真・関口達朗

難しいニュースをわかりやすく解説するジャーナリスト

 ニュースをわかりやすく解説し、子どもだけでなく、大人からも支持を受けてきた、池上彰さん。テレビ出演だけでなく、たくさんの本を執筆するほか、大学教授の顔も持っています。今月から朝小で始まるメディアリテラシーの連載を前に、読書や新聞を読むことの大切さについて教えてくれました。(大井朝加)

小学生のころは「本の虫」だったという池上さん。記者を目指したのも小学6年生の時に読んだ本がきっかけでした。殺人事件の取材をしていたら、警察より先に犯人に出あってしまったなど、地方の記者の奮闘をえがいたもので、「面白いな。将来地方で働く記者になりたいな」と思ったといいます。1973年にNHKに入り、島根県の松江放送局で、記者として働き始めました。

3年後の76年に、広島放送局呉通信部へ異動となりました。呉市の被爆者数は広島市、長崎市に次いで3番目。広島のキノコ雲を見た呉市の人が救援にかけつけて被爆したからです。そのことを知り、被爆2世の取材に力を入れました。その後、東京で事件や事故、災害など幅広い分野で取材を経験。89年にキャスターになり、他の記者が書いた原稿を読むようになりました。そこで原稿が長くてわかりにくい文章であることに気がついた、と自身の記者人生を記した著書でふり返ります。以来、ニュースをわかりやすく説明することに力を入れてきました。

すぐにデマやフェイクが広がってしまう今。一人ひとりが正確な知識を持ち、判断することによって、健全な民主主義社会が成り立つとの思いから、正しい事実を伝え、判断するための材料を提供するのが自分の仕事だと話す池上さん。「私は基礎の基礎を伝えています。もうちょっと知りたいなと思ったら、新聞や本を読むということをしてほしい。そういう願いをこめてテレビで解説をしています」

池上彰さんを知るための質問

Q1 どんな小学生でしたか?
 とにかく読書が好き。「食事だよ」といっても本に夢中になって全然来なかったので、親から「本ばっかり読むのをやめなさい」とおこられました。あと新聞が大好きで、小学5~6年ぐらいになると、すみからすみまで毎日目を通していました。

Q2 どんな中学生でしたか?
 SF小説にはまってしまって、毎月発売される「SーFマガジン」(早川書房)を学校に行く前に買い、その日のうちに読んでしまいました。人間が宇宙で暮らす方法についてなどを読んでいたら、理科が得意になりました。

Q3 中学生の時、部活は入っていましたか?
 天文気象部に入りました。毎日雨量をはかって東京管区気象台に報告するという役回りの学校だったんですね。そのうち「将来気象庁の予報官になりたい」と思い始めました。小学生の時に「地方で働く記者になりたい」と思ってたんだけど……。子どものころの願いって結構変わるわけですよね。

Q4 高校生の時は?
 気象庁の予報官になる方法を調べたら、運輸省(現在の国土交通省)管轄の気象大学校があると知りました。試験問題を調べたら、数学と物理がものすごくレベルの高い学校だったんだけど、高校に入って数学が苦手になり、数学が苦手になると物理もきらいになり……自分じゃ無理だと挫折しました。

Q5 なぜ新聞ではなく、テレビの記者に?
 大学3年生の時に、連合赤軍による「あさま山荘事件」があったんですね。当時、武力で日本に革命を起こそうと考えていた人たちが、長野県の山の中の山荘に立てこもって、発砲するんです。それをテレビが中継して、NHKと民放を合わせた視聴率が90%近くに達するという、とんでもない状態になって。これからはテレビの時代かもしれないなって思うようになり、NHKを受けに行きました。

Q6 新聞と読書は大切?
 科目に関係なく幅広い力が求められている今、グラフや図を見ながら文章を読んで理解する力がつくので、新聞は絶好です。

小説であればヒーローやヒロインになったり、宇宙に行ったりと、バーチャルに体験をすることできます。解像度が上がり、世の中がくっきりはっきり見えてくるなと思います。

『総決算 ―ジャーナリストの50年―』(早川書房)

池上彰(いけがみ・あきら)

1950年生まれ、長野県出身。慶応大学卒業後、73年にNHK入局。94年から11年間「週刊こどもニュース」のお父さん役として活躍。2005年からフリーに。名城大学教授、東京工業大学特命教授などを務め、多くの大学で講義を担当。 

(朝日小学生新聞2024年10月3日付)