
フランスのパリ・パラリンピックで金メダルをとった車いすラグビー日本代表。池透暢選手と橋本勝也選手の活躍をたたえようと9月26日、東京都内で式が開かれました。池選手は金メダルが決まったときを「最高に美しい瞬間」という言葉で表しました。(前田奈津子)
6大会連続出場のパラで初の快挙
式を開いたのは、2人が所属する日興アセットマネジメントです。花束などを受け取った後、2人はメダルへの思いなどを語りました。
車いすラグビーは、男女混合の競技です。試合は1チーム4人が出て、得点を競います。相手チームの攻撃をはばむときなどに、車いす同士がぶつかるタックルが認められています。
日本代表チームがパラリンピックで金メダルをとるのは、パリ大会が初めてです。2004年のギリシャ・アテネ大会から今年のパリ大会まで6大会連続で出場。16年のブラジル・リオデジャネイロ大会と21年の東京大会では銅メダルでした。パリ大会の決勝では、過去6大会すべてでメダルをとっているアメリカを下しました。
キャプテンとしてチームをまとめてきた池選手。「金メダルをとったとき、人生の中で最高に美しい瞬間だと思えました。選手同士で喜び合いました。観客も喜んでくれ、負けたチームもたたえてくれました。感動したのを覚えています」

橋本選手は、初出場だった前回の東京大会では出場の機会が少なく、目標の金メダルにも届かず、くやしい思いをしたそうです。
パリ大会では、持ち味のスピードを生かして得点するなど、チームの勝利につながるプレーを見せました。「東京大会のときと同じ思いをしたくないと、練習してきました。パリ大会では練習の成果を出せて、金メダルをとれてうれしかった」と話します。
「人にはそれぞれ得意なことがある」
池選手がパリ大会で印象に残っている試合の一つは、準決勝です。オーストラリアに延長の末に勝ち、パラリンピックで初めて決勝に進みました。「壁をこえたことがうれしかった」とふり返ります。

キャプテンとして心がけてきたのは、選手の個性を大事にすること。「それぞれの選手の気持ちを考えながらチームを支えられるといい。みんなの心がつながっているチームが理想です」
橋本選手には、子どもたちへ伝えたいことを聞きました。
「ぼくは車いすラグビーを通して世界の舞台に立つことができましたが、人にはそれぞれ得意なことがあります。小学生のみなさんには、多くの可能性があります。いろいろなことに挑戦して、楽しいと思うことを見つけてほしい」
大会後、金メダル獲得に関する行事への参加が続きます。2人は「車いすラグビーの魅力を広めることにも力を入れていきたい」と話しています。

池透暢(いけ・ゆきのぶ) 1980年生まれ、高知県出身。車いすバスケットボールを経験した後、車いすラグビーを始める
橋本勝也(はしもと・かつや) 2002年生まれ、福島県出身。中学生のとき車いすラグビーを始め、18年に日本代表に選ばれる
(朝日小学生新聞2024年10月4日付)

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