6大会連続出場のパラで初の快挙

式を開いたのは、2人が所属する日興アセットマネジメントです。花束などを受け取った後、2人はメダルへの思いなどを語りました。

車いすラグビーは、男女混合の競技です。試合は1チーム4人が出て、得点を競います。相手チームの攻撃をはばむときなどに、車いす同士がぶつかるタックルが認められています。

日本代表チームがパラリンピックで金メダルをとるのは、パリ大会が初めてです。2004年のギリシャ・アテネ大会から今年のパリ大会まで6大会連続で出場。16年のブラジル・リオデジャネイロ大会と21年の東京大会では銅メダルでした。パリ大会の決勝では、過去6大会すべてでメダルをとっているアメリカを下しました。

キャプテンとしてチームをまとめてきた池選手。「金メダルをとったとき、人生の中で最高に美しい瞬間だと思えました。選手同士で喜び合いました。観客も喜んでくれ、負けたチームもたたえてくれました。感動したのを覚えています」

金メダルを手にして喜ぶ車いすラグビー日本代表の選手たち=9月2日、フランス ©朝日新聞社

橋本選手は、初出場だった前回の東京大会では出場の機会が少なく、目標の金メダルにも届かず、くやしい思いをしたそうです。

パリ大会では、持ち味のスピードを生かして得点するなど、チームの勝利につながるプレーを見せました。「東京大会のときと同じ思いをしたくないと、練習してきました。パリ大会では練習の成果を出せて、金メダルをとれてうれしかった」と話します。

「人にはそれぞれ得意なことがある」

池選手がパリ大会で印象に残っている試合の一つは、準決勝です。オーストラリアに延長の末に勝ち、パラリンピックで初めて決勝に進みました。「壁をこえたことがうれしかった」とふり返ります。

パリ・パラリンピック決勝で、相手チームのタックルを受けながらパスを出す橋本選手(右)=9月2日、フランス  ©朝日新聞社

キャプテンとして心がけてきたのは、選手の個性を大事にすること。「それぞれの選手の気持ちを考えながらチームを支えられるといい。みんなの心がつながっているチームが理想です」

橋本選手には、子どもたちへ伝えたいことを聞きました。

「ぼくは車いすラグビーを通して世界の舞台に立つことができましたが、人にはそれぞれ得意なことがあります。小学生のみなさんには、多くの可能性があります。いろいろなことに挑戦して、楽しいと思うことを見つけてほしい」

大会後、金メダル獲得に関する行事への参加が続きます。2人は「車いすラグビーの魅力を広めることにも力を入れていきたい」と話しています。

池選手(右)と橋本選手 9月26日、東京都港区

池透暢(いけ・ゆきのぶ) 1980年生まれ、高知県出身。車いすバスケットボールを経験した後、車いすラグビーを始める

橋本勝也(はしもと・かつや) 2002年生まれ、福島県出身。中学生のとき車いすラグビーを始め、18年に日本代表に選ばれる

(朝日小学生新聞2024年10月4日付)