
能登地震1年 珠洲焼の作家・篠原敬さん
石川県珠洲市に伝わる珠洲焼の作家・篠原敬さん(64歳)は、元日の地震で工房の窯がこわれ、9月の能登豪雨の被害も受けました。窯が地震の被害を受けるのは3年連続です。周りの力も借りて、復旧作業を進めています。 (正木皓二郎)
3度目の被災、再建してもまた…
「レンガさえ生きていれば作れる」
1月の地震で珠洲市は震度6強を記録しました。篠原さんの工房の建物はこわれませんでしたが、レンガでできた窯が大きくくずれました。家族は無事だったものの、自宅にも被害がおよびました。

窯に被害が出たのは、2022年6月と23年5月の地震に続いて3回目。窯は23年秋に再建したばかりでしたが「それほどショックではなかった」と話します。「自分で作った窯だからレンガさえ生きていればまた作れるという変な自信があった」。被災した次の日には気持ちを切りかえたといいます。
市内の仮設住宅に入れたのは11月でした。「やっとスタート台に立てた」と篠原さん。本格的な再建を始めたのは、それから間もなくでした。全国からおよそ30人がかけつけ、くずれたレンガを洗ったり、9月の豪雨でおし寄せた泥を取り除いたりしました。

珠洲焼(すずやき)

12世紀後半(平安時代末)から15世紀末(室町時代後期)にかけて、今の珠洲市周辺で生産された中世日本を代表する焼き物。15世紀後半におとろえ、その後途絶えたものの、1979年に現代の珠洲焼が復興しました。酸欠状態にした窯の中で数日間焼き上げることで生まれる灰黒色が特徴で、県の伝統的工芸品に指定されています。
全国からのはげまし・支援が力に
作業の合間には参加者に粘土をわたし、好きなものを作ってもらったといいます。「珠洲焼のことを知って、珠洲も大好きになってほしいから」。それぞれの作品は復旧をとげた新しい窯で焼き、記念品としてわたしたいと考えています。「1人だったら心が折れていたかもしれない。周りの人が『がんばろうよ』『一緒にやろうよ』といってくれるから、ぼくも前を向ける」。全国から寄せられるはげましの声や、支援の手が力になっているといいます。
今も、かつての日常にもどれない人たちがいます。「被災者たちは前を向こうと一生懸命にきっかけを探している。哀れみの対象として見ないで」。珠洲市に来る人には「とにかく笑顔や希望、知恵を持ってきて」と伝えているそうです。窯の再建は来年の夏ごろまでに終え、10月ごろには作品を焼きたいと考えています。
輪島市と志賀町で最大震度7
9月の能登豪雨でさらに被害

能登半島地震は1月1日午後4時過ぎに発生。石川県輪島市と志賀町で最大震度7を観測したほか、七尾市、珠洲市、穴水町、能登町は震度6強でした。新潟県や富山県、福井県でも大きなゆれがおき、津波を観測した地域もありました。
この地震で亡くなった人は、石川県内で483人(24日午後2時現在)。このうち半数以上にあたる255人が地震によるけがの悪化や、避難生活の負担などによる災害関連死です。
9月には能登地方を大雨がおそいました。石川県で亡くなった人は24日午後2時現在で16人。川の水があふれたり、仮設住宅が水につかったりするなど、大きな被害が出ました。
(朝日小学生新聞2024年12月28日付)

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