
米国殿堂入りは、アジア人で初
アメリカ(米国)の野球殿堂は1月21日、今年の殿堂入り表彰者を発表し、イチロー(本名・鈴木一朗)さんがアジア人で初めて選ばれました。殿堂入りは、原則として引退から5年以上の元選手が対象です。全米野球記者協会で10年以上の取材歴がある記者の投票で決まります。
イチローさんは、米国の大リーグ・マリナーズで、新人だった2001年に最多安打、首位打者、最多盗塁を獲得するなど大活躍。アジア人初の最優秀選手に選ばれていました。
1月16日には、日本の野球殿堂入りを果たしています。日本では、プロ野球・オリックスで活躍。大きく足を上げる「ふりこ打法」などで知られ、日米通算4367安打を記録しました。現役引退後5年以上の資格を得て、資格1年目での殿堂入りは松井秀喜さんなどに続き、7人目です。

(朝日小学生新聞2025年1月23日付、1月18日付)
スポーツの世界では、小学生が生まれる前に起きた伝説的なできごとがよく語られます。イチローさんの現役時代も、小学生の記憶にはないことがほとんどでしょう。ここからは、朝日小学生新聞で好評連載中の「レジェンド~伝説~」から、2024年10月9日付で掲載したイチローさんの回を紹介します。
積み上げたヒット 4367本
プロ野球と大リーグで
野球が好きな大人に「背番号51の選手といえば?」と聞くと、多くの人がイチローさんと答えるでしょう。本名は鈴木一朗。愛知県の高校を卒業してドラフト4位でプロ野球のオリックスに入団しました。
「振り子打法」と呼ばれた打ち方でプロ3年目の1994年にプロ野球で初めて1シーズンに200本以上のヒット(安打)を放ちました。そこから7シーズン連続でパ・リーグの首位打者(打率1位)に輝きました。

2000年に大リーグ初の日本人野手としてマリナーズに移籍。「日本の野手は成功できない」といわれる中、最初のシーズンにアメリカン・リーグの首位打者となり、新人王と最優秀選手(MVP)を同時受賞。10シーズン連続でヒットを200本以上放ち、04年にはシーズン262本の大リーグ新記録を築きました。日米で打ったヒットの数は合わせて4367本。大リーグの最多記録(4256本)をこえ、「世界一」となりました。
外野から「レーザービーム」
走塁と守備もピカイチ。盗塁は今年、大谷翔平選手にぬかれるまで、大リーグでの日本選手シーズン最多記録(56盗塁)の持ち主でした。外野で守れる範囲が広く、ついた名前は「エリア51」。外野から三塁や本塁へと直接返球するようすは「レーザービーム」と呼ばれました。
ここぞという場面で活躍するスターでした。
1995年の阪神・淡路大震災では兵庫県神戸市の寮で被災。その年のシーズンは「がんばろうKOBE」の合言葉とともに、チーム初のリーグ優勝をMVPの活躍で引っ張りました。2009年に行われた野球の国・地域別対抗戦「ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)」では韓国との決勝で、日本の大会連覇を決定づけるヒットを放ちました。
19年3月に日本で行われた大リーグの試合の後、プロ生活からの引退を発表。ただ、「草野球をきわめたい」とプレーを続け、率いるチームで高校野球女子選抜と対戦するなどしています。

ちなみに
イチローさんの後、プロ野球では5人が1シーズンで200本以上のヒットを放ってきました。最多記録は西武に所属していたころの秋山翔吾選手で216本。今シーズン引退したヤクルトの青木宣親さんはただ一人、2度達成しています。
(朝日小学生新聞2024年10月9日付)

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