
ジャーナリスト江川紹子さんに聞く
1995年3月20日の朝、東京の地下鉄日比谷線などの車内で、猛毒のサリンがまかれる事件が起こりました。多くの被害者を出した「地下鉄サリン事件」です。宗教団体「オウム真理教」の犯行でした。この教団を長年取材してきたジャーナリストの江川紹子さんに、事件当時のことについて聞きました。(関田友衣)
東京の地下鉄車内に猛毒サリン
「オウム真理教」が起こす/多くの死傷者、後遺症も
30年前の3月20日午前8時ごろ、東京都内で運行中だった地下鉄日比谷線、千代田線、丸ノ内線の5本の列車内で、オウム真理教の幹部5人が、猛毒サリンの入った袋に、かさの先で穴を開けました。もれ出たサリンが液体から気体となって広がると、体の不調をうったえる人が続出。6千人以上が重軽症を負い、これまでに14人が死亡。後遺症で視力と体の自由をうばわれ、約25年の闘病の末に亡くなった人、今も目の症状や心の不調に苦しむ人もいます。
江川さんは、地下鉄サリン事件を「不特定多数の人が日常的に使う地下鉄で、無差別テロ事件が起きたとあって衝撃的でした。誰が被害にあってもおかしくないこわさがありました」と語ります。
事件から2日後、オウム真理教の施設に一斉捜索が入りました。人々の間では、「オウム真理教が水源地にサリンをまいた」「公園で子どもをつれ去った」など、うその情報も飛び交いました。
「電車内にビニールに包まれ、水気をおびているものが置き忘れられている」として、消防が出動したという話もあったそうです。「結局、それは豆腐だったのですが、ところどころで、こうしたパニックが起こりました」
オウム真理教をめぐる主な動き
1984年 「オウム神仙の会」発足
87年 「オウム真理教」に名を変える
89年 東京都から宗教法人の認証を受ける
「オウム真理教被害者の会」の活動をしていた坂本堤弁護士とその家族を殺害
90年 衆議院議員総選挙に麻原元代表たち25人が立候補したが全員落選
93年 サリンの生成設備「サリンプラント」を山梨県上九一色村(当時)につくる
94年 松本サリン事件
長野県松本市でサリンがまかれ、8人が死亡、約600人が重軽症を負いました。当初、警察とメディアは、第一通報者である被害者の男性を犯人のようにあつかい、大きな問題になりました。

1995年3月 地下鉄サリン事件

1995年5月 麻原元代表が逮捕される

2006年 麻原元被告の死刑が確定
11年 一連の「オウム裁判」がいったん終わる。死刑13人。12年に元信徒が逮捕され、14年に「オウム裁判」が再開、18年に終わる
18年 麻原元死刑囚たちの死刑が執行される

オウム真理教とは?
麻原彰晃こと松本智津夫元代表が教祖をつとめた団体。麻原元代表は空中にうかぶ超能力があるなどとアピールして、1万人以上の信徒を集めました。食事を制限し、薬物を用いるなど、苦しい修行をさせ、信徒の心を支配していきました。
優しくて真面目な人たちが…
危険な集団 → 変わった集団
ゆるんでいた教団への注意
オウム真理教は1989年、教団を批判していた坂本堤弁護士とその家族を殺害。当時、教団の犯行がうたがわれました。

しかし91年ごろから、テレビはこぞってオウム真理教を持ち上げ、麻原彰晃こと松本智津夫元代表はバラエティー番組や討論番組に出演しました。
ジャーナリストの江川紹子さんは「人々のもつオウムへのイメージが『注意すべき危険な集団』から『ちょっと変わった集団』にやわらいでしまった」と語ります。
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