
NHKの連続テレビ小説「あんぱん」が3月31日から始まりました。「アンパンマン」の生みの親でまんが家のやなせたかしさんと、妻の暢さんをモデルにした物語です。やなせさんはどんな人だったのでしょうか?(関田友衣)
やなせさんは1919年生まれ。子ども時代を高知県で過ごしました。幼いころにお父さんを亡くし、お母さんとはなればなれに。弟は戦死しました。やなせさん自身も軍隊の一員として戦地に行きました。
終戦後はデザイナー、まんが家、放送作家などの仕事につき、絵本作家としてアンパンマンを生み出します。アニメが始まり大ブレークしたとき、やなせさんは69歳でした。
「やなせさんは人の願いをかなえて、喜ばせたいと思っている人でした」。朝小で、やなせさんの連載を担当していた編集者の平松利津子さんは、そうふり返ります。
平松さんは中学生のとき、書店のサイン会でやなせさんに初めて会いました。会場ではサイン色紙が1枚3千円で売っていましたが、家から色紙を持ってきた平松さんに、やなせさんは「その色紙を置いて帰りなさい」と告げたそうです。「1週間もたたずにサインが自宅に届きました。もう大感激でした」と平松さん。

助けを求めたときに手を差しのべてくれた
2010年、朝小で「やなせたかしのメルヘン絵本」がスタート。最初は「忙しいんだよ」と断られましたが、企画の内容を話すと、1週間で3枚原稿が届いたそうです。
11年の東日本大震災で、平松さんの故郷の岩手県陸前高田市が津波の被害を受けました。このときもやなせさんは、平松さんの「助けてください」という言葉に応えてくれます。高田松原に残った「奇跡の一本松」に「ヒョロ松」という名前をつけて支援し、連載にも登場させたのです。
「よい人でいなさい」。やなせさんから平松さんへの最後の言葉は「よい人でいれば、必ず誰かが手を差しのべてくれる」という意味です。
「自分に助けを求めに来た人に、手を差しのべる人でありたかったのでは」と平松さん。おなかをすかせて困っている人たちの元に飛んでいくアンパンマンの姿に、どこか重なります。「やなせたかしという人は、アンパンマンそのものなんだと思います」

アンパンマンは決して裏切らない
フレーベル館の編集者が語る魅力

みなさんも幼いころ、アンパンマンに夢中になったのでは? アンパンマンをはじめ、やなせたかしさんが手がけたキャラクターや作品の魅力について、フレーベル館編集部の上総糸恵さんとアンパンマン室長の宮本麻未さんに聞きました。
「子どもと対等に」 やなせさんの思い
やなせさんが初めて手がけた子ども向けのアンパンマンは、フレーベル館の月刊絵本「キンダーおはなしえほん」1973年10月号にのった『あんぱんまん』。それから50年以上がたった今も、アンパンマンは子どもたちに愛され続けています。
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