
国語の教科書に登場する作者
旧満州(いまの中国東北部)で生まれ育ち、太平洋戦争を体験した童話作家のあまんきみこさん(93歳)。平和への願いをこめたお話や動物たちの心温まる物語で知られます。「1通しか出せないラブレター」のように童話を書いているといいます。(中塚慧)
物語は1通しか出せないラブレター
あまんさんの作品は「きつねのおきゃくさま」(教育出版2年上)、「ちいちゃんのかげおくり」(光村図書3年下)、「おにたのぼうし」(教育出版3年下)、「白いぼうし」(光村図書4年上、教育出版4年上)など、多くが教科書に登場します。
――かげぼうしを十数える間見つめてから空を見上げると、空にかげがうつって見える「かげおくり」。あまんさんも子どものころに遊んでいたのですか。
友だちと手をつないでかげをおくっていました。のろまだったから、私のかげだけうつらなかったらどうしよう、と思って。みんなといっしょにかげが空にうつるとうれしかったです。
実は「かげおくり」という言葉は、この物語を書いたときに生まれたんです。
――「ちいちゃんのかげおくり」のちいちゃんは、戦争中に空襲にあい、亡くなります。この物語はどうやってできたのですか。
はじめは、親子3代でかげをおくる物語を考えていました。おばあちゃんのなみこちゃん、お母さんのちいちゃん、孫のせんこちゃん。ちいちゃんはせんこちゃんに「お母さんが小さいころは、空襲があって空が一番こわかったのよ」と伝える、という物語でした。
でも、何度書いてもちいちゃんが死んでしまう。私はちいちゃんが生き残り、大人になってせんこちゃんのお母さんになると思っていたので困りましたね。作品は植物のように、自分の手をはなれて葉をのばし育つことがあります。
戦争のころはいたるところで、小さい命が消えていきました。子どもの死は、未来をすべてなくすということ。空が一番こわい時代に生まれたちいちゃんたちの死は、いまの子どもたちにも、ひとしずくでいいから受けとめていてほしいです。
戦争の悲惨さ 少しずつでも知って

――14歳のとき、旧満州の大連で終戦をむかえました。
やがてソビエト連邦(いまのロシアなど)軍が攻めてくると、おそわれてはいけないから、男の子に見えるように三つ編みを切りました。
家にソ連兵が押し入ってきたことも。祖母、母、おばと4人で2階にかけ上がり、ベランダを伝って屋根瓦をはい、煙突のかげで息を殺しました。親に守られているから不思議とこわくなかったです。
大連にいたころは、まわりは日本人だらけ。学校も楽しかったです。それは、私がひなたの世界にいたから。自分たちがいることで、中国の人をひかげの世界に追いやっていたのですね。そのことについては、いまも心の中で折り合いがついていません。
――きつねがひよこやあひるを太らせて食べようとするのに、いとおしくなり食べられなくなる「きつねのおきゃくさま」からは、やさしさを感じます。
この作品を書いているとき、頭の中できつねやひよこが動き回っていて、書いたり消したりをくり返していました。
作品は1通しか出せないラブレターのようなもの。この思いも、あの思いもとつめこめません。きつねは、ひよこやあひるをねらうおおかみと戦い「はずかしそうに わらって」死にます。ほかの子たちには「かっこいいお兄ちゃん」だったけど、自分は自分のことを知っています。だからはずかしかったのですね。
――いまも新作の童話を発表するなど、創作を続けています。年を重ねることについてどう感じますか。
私は40歳くらいまで、前に向かって歩いていると思っていたの。はずかしいこと、忘れたいことを捨てていって。でも、ちがうと気づきました。木の年輪のように、芯の部分は赤ちゃん、幼年時代、少女時代と、忘れたいこともぜんぶ抱え持っているんだな、と。
小さいときにドキドキしたこと、「ごめんなさい」と言えなかったこと。そういう思いといまの自分とがひびきあったときに、作品ができあがるのです。
――太平洋戦争が終わって今年で80年です。いま子どもたちに伝えたいことは?
私は子どものころ、日本は「平和のための戦争」をしていると教わり、それを信じました。でもね、戦争の根もとにあるのは「殺される前に殺す」ということです。
小さい子に戦争の話をぜひ……とは私は思いません。でも3年生くらいから少しずつ知ってもらえたら。いまもこの世界で戦争のために子どもが亡くなっていることを。戦争だけはどんな理由があってもまちがっています。平和な時間を、本当に大切にしていって。そう願います。
旧満州

1931年、日本が中国東北部を占領(力ずくで支配すること)。日本は32年に「満州国」をつくりました。45年8月8日、ソ連軍が日本に戦争を始めると告げ、翌9日に満州に攻めてきました。とらわれた日本兵はシベリアの強制収容所に送られ、混乱の中、多くの日本人の子どもは孤児になりました。満州国は日本の敗戦とともになくなりました。
あまんきみこさんが暮らした大連も旧満州に含まれます。
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あまんきみこ
1931年、旧満州(いまの中国東北部)生まれ。68年に『車のいろは空のいろ』で日本児童文学者協会新人賞、2023年に『車のいろは空のいろ ゆめでもいい』で産経児童出版文化賞大賞など受賞多数。今年2月に『さくらが さいた』を出版。
公式サイトも見てね
朝小の公式サイトには、あまんきみこさんからのメッセージ動画のほか、谷川俊太郎さんをはじめ、これまで連載に登場した作者の記事を掲載しています。
特集ページ「国語の教科書に登場する作者」 URL https://t.asagaku.com/MDEzODg3
(朝日小学生新聞2025年6月21日付)
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