小3の健くんを失った美谷島邦子さん
今から40年前の1985年8月12日、日本航空123便の飛行機が墜落し、520人の大切な命が奪われました。みなさんが生まれるずっと前のできごとですが、事故で子どもを失った美谷島邦子さんは、二度と同じような事故が起こらないように、活動を続けています。(関田友衣)


一人の命はたくさんの命につながっている
小学3年生の美谷島健くんは、乗り物や昆虫、野球、お母さんのつくるマドレーヌが大好きな男の子。夏休み、初めて一人で飛行機に乗り、大阪のいとこに会いにいく「冒険の旅」の途中で事故にあいました。事故現場から見つかったのは健くんの胴体の一部と右手だけ。お母さんの美谷島邦子さんは、小さな手のいぼと、つめの形を見て、健くんだとわかったそうです。
「同じくらいの年の子が亡くなったこと、また家族の悲しみを知り、自分の命に向き合い、一人の命はたくさんの命につながっていることを感じてもらいたい」。そんな思いで邦子さんは小学校で親子に向け、事故のことや命の重さを伝える授業をしています。『けんちゃんのもみの木』(BL出版)という絵本も書きました。命の大切さ、悲しむことで生まれるつながりについて書かれた絵本です。

今年7月には日本航空の社員に、空の安全について話しました。安全はみんなでつくるもの、つみ上げていくもの。安全な運航に不安なことがあれば、臆病者とよばれても、引き返す勇気を持つのが大事と伝えました。事故のことを伝える時は、「心のどこかが痛い。でも伝えることは、健ちゃんからの宿題だと思っています」。
日本航空123便墜落事故


東京・羽田空港発、大阪・伊丹空港行きの日本航空123便が、群馬県上野村の山中(御巣鷹の尾根)に墜落した事故。123便は、午後6時すぎに離陸した12分後、相模湾上空で、圧力隔壁という設備がこわれ、操縦ができなくなりました。修理ミスが原因です。それから約30分間飛行したのち、6時56分に墜落。機内にいた524人中、520人が亡くなるという、単独の飛行機事故では世界最悪の事故です。
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日本航空123便墜落事故から40年 助けを待つ間に亡くなった人も
事故現場を取材した 元朝日新聞記者・高松浩志さん
日本航空123便墜落事故とはどんな事故だったのでしょうか。当時、事故現場を取材した元朝日新聞記者の高松浩志さんに聞きました。
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