歴史作家の河合敦さんが、昔の日本の様子をわかりやすく教えてくれるよ。今回は、昔のお金「和同開珎」について学んでいきましょう。

※答えは、この記事の最後に
和同開珎は、かつて日本最古の貨幣といわれていましたが、今はちがいます。1999年に奈良県の飛鳥池工房遺跡から和同開珎より古い富本銭が大量に見つかったからです。
朝廷は和同開珎から958年の乾元大宝まで、250年の間に12種類の貨幣をつくりました。しかしその後、貨幣をつくること(鋳造)をやめます。人々が国のお金を信用しなくなったからです。
和同開珎を材料費より高い価値で流通させたので、お金をつくればつくるほど財政はうるおいました。ところが、このしくみを悪用し、にせ金をつくってお金もうけをする者が出てきたのです。にせ金が出回ると和同開珎は信用を失い、価値が落ちていきました。
そこで朝廷は、ときどき新しいお金をつくってにせ金が出回るのを防ごうとしました。また、苦しい財政を立て直すために、質を落としてつくった新しいお金に、それまでのお金の10倍の価値を持たせるといったこともしました。
朝小プラスまなび
そのためお金への信用はもどらず、人々はお金を使うのをやめ、再び米や布をお金のかわりにするようになりました。そこで、とうとう朝廷は貨幣の鋳造をやめたのです。
人々が再び貨幣を使うようになるのは12世紀後半です。ただし、それは国産ではなく、宋(中国)からの輸入銭でした。隣の国の貨幣は信用したのですね。
クイズの答え ア
かわい・あつし
歴史作家。都立中高一貫校や私立中高の教諭を経て、多摩大学客員教授。多くの日本の歴史の本を書くかたわら、テレビ出演や講演活動もおこなう。
(朝日小学生新聞2014年5月22日付)

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