野球の「二刀流」大谷翔平選手(29歳)は、天才たちが集まるプロの世界で、投手と打者両方でばつぐんの成績をおさめています。この100年で、こんな活躍ができたのは大谷選手ただ一人です。どんな育ち方をしてきたのか、3回の連載でふり返ります。

大谷翔平物語~打つ、投げる、楽しむ~(1)
幼少期~15歳まで
投手としての本能をむき出しにするマウンドでは、目の前の打者を全力でおさえる。打者としてはヒットやホームランを積み重ね、走塁では驚異のスピードでダイヤモンドをかけめぐる。いまや、野球を舞台に「世界のトップアスリート」の一人となった大谷選手は、すべてのプレーが「楽しい」と言います。かつて、彼はこんな言葉を残しています。
「ピッチングとバッティングをしていたら、楽しいことがいっぱいありますからね。そこは両方をやっていてプラスですよね。ピッチャーだけをしていたら、ピッチングでしか経験できない発見があるわけですけど、ピッチングをやってバッティングもしていれば、『楽しい瞬間』はいっぱいあるんです。そういう瞬間が訪れるたびに、投打両方をやっていて『よかったなあ』と思うんじゃないですか」
純粋に野球と向き合い、今の自分をさらにこえていく。その姿勢に加え、世界最高峰のメジャーリーグでも常に「楽しむ」思考こそが、大谷選手の本質と言えるでしょう。
充実していた岩手での時間
1994年に岩手県の奥州市(旧・水沢市)で生まれた彼は、その育った地を思い浮かべながらこうも言うのです。
「岩手での時間は本当に楽しく、のんびりと過ごしました。こと野球に関しても、おそらくそういう環境のほうがぼくには性にあっていたと思います。個人的には、子どものころに楽しく、のんびりと野球ができたことはよかったと思っています。楽しくできたおかげで、1回も野球を嫌いになることはなかったですから」
野球が好きだから――。その思いは、今も変わることのない大谷選手の原動力となっています。
彼の原点は、やはり子どものころの環境にあると言えるでしょう。大谷選手の両親は、幼少期から彼の考えを優先し、おおらかに育てました。学年が七つちがいの兄と二つちがいの姉を持つ末っ子として育てられた大谷選手に対して、父・徹さんは「しかった記憶がほとんどない」と言います。思春期をむかえた中学生のころによくある、いわゆる反抗期というものがなかったと言うのは母・加代子さんです。
「わけもなく反抗したり、態度が悪かったりということは特になかったと思います。それは翔平だけではないんですが、子どもたちがそれぞれに自分の部屋にこもることはありませんでした。特別に家族みんながものすごく仲がいいというわけではないんですが、家にはテレビが1台しかなかったので、何となくみんなが同じ場所に集まって一緒にテレビを見ることが多かったですね」
意思と決断を尊重した両親
末っ子は、両親の温かい愛情に触れながら育ちました。親なら誰もがいだく「子どもへの愛情」なのでしょうが、決してかたより過ぎることなく、そっと寄りそい、温かい目で見守る深い愛情がそこにはありました。
大谷家は、食卓での親子間の空気も大事にしたと言います。大谷選手は、もともと食が細い子どもでした。高校に入学するまでは、まるでマッチ棒のような細さ……。それだけに、母は少しでも食事の量を増やそうと、食卓での「楽しい雰囲気」づくりを心掛けたと言います。休日には、ホットプレートを用意して家族みんなで楽しくワイワイと食べる。そうすれば、自然と食事の量が増えるのではないか、と。そんな雰囲気が日常にあった大谷家は、末っ子にとっては「居心地のいい」場所でした。
「特別なことは何もしていないんですよ」
子育てについて両親はそう言うのですが、自然と築かれた温かい空気感が大谷選手のおおらかで、真っすぐな性格である人間としての礎を育んでいったのだと思います。かつて、大谷選手は両親への感謝の思いをこう語ったことがあります。
「今でもそうですが、親には本当に自分がやりたいように自由にやらせてもらってきました。父親には、やりたければやればいい、やりたくなければ自己責任で、という感じで接してもらいましたし、母親にも『勉強をやりなさい』と言われたことがなかったですし、たくさん支えてもらいながら、自由にやらせてもらってきたと感じています」
両親はいつだって、大谷選手の意思と決断を尊重してくれました。また、父は小学校時代に所属した野球チームの監督でもありました。父と息子は、「野球ノート」を通じて試合での反省や課題と向き合いました。父は、言葉を書いて頭で理解しながら行動する習慣を身につけてほしいと思っていました。それもまた、大谷選手の「考える力」の原点。岩手で過ごした日々には、生きる力が伸びやかに育まれる多くの要素がつまっていたのです。
◇次回は、岩手・花巻東高校時代のようすを紹介します。
筆者・佐々木亨(ささき・とおる)
1974年、岩手県生まれ。大谷翔平選手が15歳のときから取材を続けているスポーツライター。著書に『道ひらく、海わたる 大谷翔平の素顔』(扶桑社)、『1982年 池田高校 やまびこ打線の猛威』(ベースボール・マガジン社)などがある。
(朝日小学生新聞2021年10月23日付)

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