~ 帰れる場所があるからこそ ~

ここ3年ほど日本とアメリカに半々ずつ住んでいますが、家族はアメリカなので、日本ではものすごく久しぶりの一人暮らしになります。

そこで思うことがあります。「ただいま」が聞けるのって全然当たり前なんかじゃないんだなって。言うことはできるけど、一人だと誰かが言うのを聞くことはできない。おかえり」を言ってくれる人もいない。そんな言葉を言ったり聞けたりできるのは家族がいるから。「ただいま」だって、全然当たり前なんかじゃない。多くの奇跡と幸運と善意が重なって今日も聞ける。

そう思うと、どんなに前の日の夜や朝に喧嘩していたとしても、部屋が散らかったままだとしても、文句を言いたくなったとしても、「ただいま」の声がまた聞けることに感謝したくなるのです。

「ただいま」が言えるのは、帰れる場所があるからこそ。帰りたい場所があるからこそ。安心安全を感じて、自分が自分でいられる場所、何があっても自分を受け入れて守ってくれる場所があるからこそ。そう思うと、何があっても家庭をそんな場所に保ちたいと思えてきますよね。

相手がいるからこその『ありがとう』

そこで鍵となるのが「ありがとう」の一言だと思っています。相手がいるからこそ言えるのが「ありがとう」の一言だから。言うのも言ってもらえるのも相手あってこそです。そんなお互いの存在に感謝し合うのが「ありがとう」という言葉の本当の意味なんじゃないかな。

「一日1回のありがとう」を習慣にするのはいかがでしょうか? 毎日の最後の「おやすみ」に「ありがとう」を添える。 何に対してのありがとうか? そこに居てくれる。何もしてくれなくていい、期待も希望も関係ない。今日もそこにそうして居てくれることに感謝する。 

「ありがとう、おやすみ」は、お互いに言い合うことで自己肯定感も高まるウィンウィンな新習慣。どうかな? 試してみてね。

非認知能力を育てるBYBSコーチングの仲間たちと講演会で全国を回っています

ボーク重子

ライフコーチ。Shigeko Bork BYBS Coaching LLC代表。福島県出身。大学卒業後、外資系企業に勤務。退職後、イギリスの美術系大学院で美術史を学ぶ。結婚後アメリカに渡り、アートギャラリーをオープン。著書に『子育て後に「何もない私」にならない30のルール』(文藝春秋)など。

(朝小かぞくの新聞2024年5月20日号)