この記事は、2001年8月4日付の朝日小学生新聞に掲載されました。記事の内容は、新聞に掲載したときのものです。

小泉純一郎首相が「サンパイ」するとかしないとか、もめてるようだね。

河原記者

「参拝」ね。お参りして神さまや仏さまをおがむことで、それ自体は問題ないの。

じゃあ、なにをもめているの?

河原記者

終戦記念日の8月15日に、総理大臣として靖国神社に参拝するかどうかが問題になっているの。靖国神社は戦争に関係した人たちがまつってあるのよ。

「終戦を記念する日は国によってちがう」 子どもに聞かれて説明できる?

朝小プラスまなび

小泉首相が行くのと、ほかの人が行くのとでは、なにかちがうのかな。

河原記者

首相の行動は、戦争に対する日本政府の考えをしめすことになる。だから、中国など、戦争で大きな被害を受けたアジアの人たちも神経をとがらせているの。

中国などアジアが反感 宗教活動で違憲の声も

東京・九段にある靖国神社

どんなふうに?

――中国では外務大臣が、「参拝をやめなさい」って、いったの。日本の田中真紀子外務大臣も「行かないでいただきたい」と、小泉首相につたえたのよ。

どうして?

――ひとつは、憲法に違反するうたがいがあるからよ。憲法20条は「国はいかなる宗教活動もしてはならない」と定めているの。

えっ、どういうこと?

太平洋戦争に敗れるまで、日本は天皇を神とあがめ、みんなに神社に参拝させていた。日本が植民地として支配していた朝鮮半島の人たちにも無理に参拝させていた。

そうだったんだ。

――朝鮮半島のキリスト教会の人たちは「わたしたちは、ふたつの神さまにつかえることはできません」といったけど、参拝するよう説得された。これに反対してつかまったり、ろう屋で亡くなったりした人たちもいたそうよ。

かわいそうだな。

――そのころの日本の子どもたちは、「神である天皇陛下のためなら、命を差し出してもおしくない」と教育されていた。天皇のために戦って「名誉の戦死」をしたら、特別な魂となって靖国神社にまつられる。そう教えられた。

いまとぜんぜんちがうね。

――戦地に行くときも、「生きて帰ってくる」なんていったらいけない。「りっぱに死んで靖国神社で会いましょう」。こういうのが正しいとされていたの。

へえっ。

――そうしたことの反省から、戦後、国と宗教はしっかり切りはなされることになった。靖国神社も、特別な国の施設ではなく、ほかの宗教団体と同じひとつの宗教組織になったのよ。

なるほど。総理大臣が参拝すると、せっかく決めた約束がやぶられるんじゃないかと心配になるのね。じゃあ、中国や韓国の人が反発するのはどうして?

――靖国神社には、戦後の国際法廷で裁かれて「戦犯(戦争犯罪者)」とされた、戦争当時の日本の指導者たちもまつられている。かつての日本によって、大きな被害を受けたアジアの国ぐには、首相の参拝が軍国主義の復活につながるのでは、と心配しているの。

それでおこるんだ。

――その一方で、「国のために戦死したんだから、総理大臣に靖国神社にお参りしてほしい」とのぞむ遺族たちもいるの。

複雑だね。歴史を知らないと、いまの問題もわからないんだ。8月15日にだれがどんな動きをするのか、興味がわいてきたよ。

【靖国神社】

 東京都千代田区九段にある神社。1869(明治2)年にできました。幕末から明治にかわるときの内戦でたおれた人たちをまつる場として、明治天皇の考えでつくられたとされます。

 はじめは「東京招魂社」とよばれましたが、1879年に靖国神社となり、現在までに明治維新以後の内乱や外国との戦争での戦没者約250万人がまつられています。

 1978年には第2次世界大戦のA級戦犯(連合軍による軍事裁判で戦争を計画、実行したとして有罪判決を受けた指導者ら)もあわせてまつられるようになりました。

河原理子記者(朝日新聞日曜版編集部)

(朝日小学生新聞2001年8月4日付)