日本国民が敗戦を知った8月15日、戦没者を思う

Q 1945年8月15日に第2次世界大戦は終結?

A 終戦を記念する日は国によってちがう

■解説者 国分高史 元朝日新聞編集委員

1945年のこの日、日本国民は昭和天皇のラジオ放送を聞いて、戦争に負けたことを知らされました。のちに政府はこの日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」と定め、天皇皇后両陛下を招いて式典を開くようになったのです。

一方、日本の植民地だった韓国は、この日を日本からの解放を祝う祝日としています。

戦争が終わったことを記念する日は、国によってちがいます。

第2次世界大戦は日本、ドイツ、イタリアなどの枢軸国とアメリカ(米国)、イギリス、中国(当時は中華民国)、ソ連(いまのロシア)などの連合国が戦い、連合国が勝ちました。米国をはじめ多くの国は、日本が戦争に負けたことを認める文書に署名した9月2日を「対日戦勝記念日」としています。中国は翌日の9月3日を記念日に定めています。また、ヨーロッパの連合国側の国では、ナチス・ドイツが降伏した5月8日を「欧州戦勝記念日」として祝っています。

Q 近年、終戦の日に首相が訪れるのは?

A 無宗教の千鳥ケ淵戦没者墓苑

■解説者 国分高史 元朝日新聞編集委員

去年の8月15日、岸田文雄首相は東京都千代田区の千鳥ケ淵戦没者墓苑で花を供えた後、近くの日本武道館で開かれた全国戦没者追悼式であいさつをしています。

近年の日本の首相はおおむねこのように終戦の日を過ごし、たくさんの人が訪れる靖国神社には参拝しません。なぜでしょうか。

首相の靖国参拝、なぜ問題なの?

朝小プラスまなび

千鳥ケ淵戦没者墓苑は、海外で亡くなった名前のわからない日本兵の遺骨を納めたお墓のある無宗教の国立施設です。靖国神社は、戦前は陸海軍が管理していた特別な神社でしたが、いまはほかの神社や寺、教会などと同じく民間の宗教法人の施設です。

戦後しばらく、昭和天皇や多くの首相は靖国神社に参拝していました。ただ、戦後の新しい憲法によって国の宗教活動が禁じられたため、首相は政府の代表ではなく、ひとりの個人として参拝したと説明していました。ところが、1985年に中曽根康弘さんが初めて首相の立場で終戦の日に参拝しました。これに反発したのが、かつて日本と戦った中国です。戦争犯罪人=MEMOを見てね=が祭られている神社に首相がお参りするのはおかしいとうったえたのです。

その後も、小泉純一郎元首相や安倍晋三元首相たちが靖国神社に参拝しました。中国などはそのたびに反発し、米国も「失望した」と表明したことがあります。

政府は、だれもが参拝できるような新しい追悼施設をつくることも検討しました。ただ、反対も多く、実現はしていません。

MEMO

太平洋戦争の指導者も祭られている靖国神社

靖国神社には、幕末から太平洋戦争までの国内外の戦いで犠牲になった約246万の軍人などが「神」として祭られています。戦前に国が保護していた国家神道の中心施設で、アメリカなどからは「軍国主義の象徴」と見られていました。

靖国には、東条英機元首相など太平洋戦争を指導した14人も祭られています。この人たちは、戦後に連合国が開いた東京裁判で「A級戦犯」として有罪になりました。東京裁判に対しては戦勝国による一方的な裁判だったとの批判もあります。それでも日本政府は1951年に連合国と結んだサンフランシスコ平和条約で、この裁判を受け入れています。

■解説者
国分高史
元朝日新聞編集委員

(朝日小学生新聞2023年8月11日付)