やさしくて大胆…夢中になったね

谷川さんは1931年、哲学者の谷川徹三さんの長男として東京で生まれました。

16歳から詩をつくり始め、52年に詩集『二十億光年の孤独』でデビュー。壮大な宇宙で孤独を抱えながら生きる、人間の内面をとらえた新鮮な表現が注目されました。

日本語の可能性を広げるような詩で高く評価されてきました。また、ひらがなややさしい言葉ながら、するどい表現でハッとさせる作品も数多く、子どもたちを夢中にさせました。

スヌーピーも訳したよ

国語の教科書にも、世界中で人々がそれぞれに迎える朝を表現した「朝のリレー」や、さまざまな人生の瞬間や景色をとらえた「生きる」など数々の詩があり、子どもたちに詩の世界への扉を開きました。

教科書にも登場するレオ・レオニの絵本『スイミー』、スヌーピーが登場するシュルツのまんが「ピーナッツ」の翻訳も手がけました。そのほか脚本や作詞などでも知られ、詩人の枠にとどまらない活動で多くの作品を残しました。

「いま」を生きるしかない 谷川俊太郎さんが子どもたちにのこした言葉

朝小プラスまなび

「詩の楽しみ方はどこまでも自由でいいんだよ」

谷川さんを2013、15、22年に取材した記者が、心に残る言葉をふり返ります。

質問に、やさしく、時に厳しい表情も見せながら答える姿が印象に残ります。

「詩は理解することよりも、味わうことのほうが大事」という話がありました。なんとなく好き、なんとなく気に入らない。それでいいんだといいます。だから、「理想の詩は草花のようなもの。見た人が『きれいだな』と思ってうれしくなったり、なぐさめられたりするものがいい」と語っていました。

詩の楽しみ方はどこまでも自由だといいます。「生きているということ いま生きているということ それは○○」と続く「生きる」という谷川さんの詩があります。その一節に「それはピカソ」とあるのに対し、記者が「自分なら(別の画家の)シャガールがいいな」と言うと「いいね!」と目を細めてくれました。

SNSなどで言葉があふれていますが、子どもたちには「実体験を大切にして」と願っていました。「知識だけだと、情報とかわらない。親や友だちとの関係、感動した本や音楽、旅行も実体験になる。それらを通して、知識を知恵にしていって」と話していました。(中塚慧)

谷川俊太郎(たにかわ・しゅんたろう)

詩集『どきん』(作 谷川俊太郎、絵 和田誠、理論社)

1931年、東京生まれ。詩集『二十億光年の孤独』でデビュー。以来、多くの詩集、児童書の翻訳作品を発表。作詞家として、全国の小学校などの校歌も数多く手がけた。

(朝日小学生新聞2024年11月20日付)