泉昭二さんの仕事場にのこされた絵本『ライオン先生』の原画。1995年に自分で製本して、友人などに配りました=2024年11月、東京都杉並区

「ライオン先生」戦後80年にあわせてウェブ公開

 朝日小学生新聞で50年以上、4コマまんが「ジャンケンポン」を連載した泉昭二さん(1932~2023年)。太平洋戦争のなかで過ごした泉さんの子ども時代をえがいた、未発表の絵本「ライオン先生」が見つかりました。「当時のくらしや人々の思いが伝わる貴重な史料」と研究者が評価する作品を、戦後80年にあわせてウェブで公開します。(デジタル編集長・別府薫)

もくじ

1. 4コマまんが「ジャンケンポン」の作者
2. 泉さんの子ども時代
3. 「ライオン先生」(前半)
4. 「ライオン先生」(後半)

亡くなって1年、仕事部屋から発見

自分自身の小学生時代をもとにつづる

「ジャンケンポン」は、ジャン、ケン、ポン3きょうだいの日常をユーモアたっぷりにえがいた4コマまんがです。朝小が生まれて間もない1969年9月から、泉さんが亡くなる少し前の2023年3月までつづきました。16年11月には連載が1万5千回に達し、ギネス世界記録に。最終的には、1万6383回まで記録をのばしました。

『ジャンケンポン』連載50年をむかえたころの泉昭二さん=2019年9月、東京都杉並区

ジャンケンポンの昭和・平成・令和 連載50年で仕事場初公開!

朝小プラスまなび

泉さんが亡くなって1年後の24年11月、東京都杉並区の泉さんの家に、おいの三留功一さんと朝小の元編集担当者たちが集まりました。みんなで仕事部屋を整理しているときに見つけた原稿が「ライオン先生」です。

絵本の舞台は、太平洋戦争中の東京市荒川区立第九峡田国民学校。国民学校はいまの小学校で、泉さんの母校です。

ライオン先生と子どもたち イラスト・泉昭二

「ライオン」というあだ名のあらあらしい先生に、子どもたちはおびえながら過ごしています。ジャンケンポンとは正反対の暴力的な世界。大人向けの作品で、きたない言葉づかいも出てきます。

あとがきなどから、1975年に泉さんが子ども時代をふり返ってかいたもので、出版も希望しましたが実現しなかったことがうかがえました。